019466 ランダム
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私の母は、決して丈夫な人とは言えない人でした。
父がいるころ、母はよく体調を崩しては寝込んでいました。
また、ヒステリーを起こすことも多々ありました。

そんな母が、突然家族を養って行かなくてはならなくなりました。
毎日、疲れて帰る母の姿が心に痛く残ってます。

ある夜のことでした。
ふと、私は目が覚めてしまいました。
母は静かに起きていて、仏壇の前に座ってため息をついていました。
私は、子供心に声をかけてはいけないような気がして、ふすまの隙間からそっとのぞいてました。
しばらくすると、母は手を合わせ祈っていました。
黙ったままじっと手を合わせていたかと思うと、まるで何かが切れた様に泣き出しました。
握りしめていた数珠を、自分の膝に何度も何度もたたきつけ泣いてました。
父の葬儀が終わってから、一度も泣かなかった母。
もしかしたら、毎日、泣いていたのかもしれません。
ただ、子供たちに気づかれないようにしていたのか、気づかなかっただけなのか。

「パパ、ずるいよ。勝手に先に死んじゃって。私、もうやだよ・・・」

母は、父にそう話しかけていました。
私がみた母のそんな姿は、そのとき一度きりでした。

朝がくると、いつものようにバタバタと仕事に向かう母。
帰ってくると、ぐったりと疲れて夕食の支度をする母。
三人の子供を育てるために、必死な姿の母。

父が亡くなってから、私たち姉弟は母に怒鳴られることがなくなりました。
きっと、毎日疲れ切っていて怒鳴るほどの体力も残っていなかったのでしょう。

今、私は2人の子の親となりました。
子供を産んで、初めて母の偉大さをしりました。
思えば、父が亡くなった当時、母はまだ31歳。
今では「若かったからできたのよ」とかるく笑って語る母。
親が子供を育てるのは当たり前だと語る母。

けれど今自分が、母の当時の年齢を過ぎ考えてしまいます。

どうして逃げなかったのだろう・・・。
私なら、逃げたかもしれない・・・と。

母は、決して逃げることなく、私たち姉弟を育ててくれました。
当たり前のように、毎日必死で育ててくれました。

そんな母を私は誰よりも尊敬してます。



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